意外に知られていない?足立区の歴史ってどんなもの?

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足立区は高齢化が進む問題を抱えながらも、5つの大学が創設され若者が多く住んでいる街です。日暮里・舎人ライナー、つくばエキスプレスなどの新線も開通し、オリンピック以降も沿線都市の発展が期待されています。そんな足立区の歴史をお伝えします。

昔は海に面する湿地地帯だった?
足立区は東京でありながら、昔は海に面する湿地地帯だったそうです。足立区に人が住み始めたのは、古今和歌集やその選者である紀貫之の平安時代頃なのだそうです。
足立区には荒川、利根川などの川が多いのですが、何千年もの期間に降る大雨などによる土砂で埋め立てられていったのだそうです。

都と交流のあった足立区
足立区から古都奈良へ、はすの実が送られたという記録があるようです。木簡に入れられて、はるか遠い奈良まで馬または船で運ばれたのでしょう、足立区は外交も積極的に行っていたようです。

足立区の白幡古墳~源頼義がお参りした?
足立区には白幡古墳があります。鎌倉時代~戦国時代末期にかけて、東京から東北へ行く場合の通り道となっていたようです。
源頼義は東京から東北へ戻る途中に白幡古墳で白幡を立てて勝利をお祈りしたことでも知られています。江戸時代には千住は日光道中の宿場町として栄えていくことになります。
徳川家康は江戸の水害対策として、綾瀬川に着目し修復、利根川から水を引くことをしたそうです。その結果、足立区や埼玉県の田畑の水はけがよくなりました。稲作や野菜作りが出来やすくなった足立区は人口が増えていきます。
さらに、千住には千住大橋が出来たので、野菜を売る産業が栄えていったようです。

農業に代わり工業も盛んになる明治時代
明治時代になると、足立区は農業からこのように工業へシフトしていき、発展を遂げていきます。
・道路が整備:高速道路、環状7号線が開通、常盤自動車道や東北自動車道の発達
・マンションや住宅の建設の増加
・工業化による人口増加

現在の課題
足立区は昭和22年に誕生したそうですが、今もまだ課題を残しているようです。足立区は首都直下型地震に耐えられないと想定される木造住宅が多いことです。
また、大きな道路は開通しているものの、市町村においては道路が網羅されていない地域がありますので、災害時の避難経路の確保などの問題があるようです。

道路や公園整備・住宅の立て替え~足立区は変貌を遂げている最中
足立区は、若者から高齢者までが住みやすい街になるための進化を遂げています。
道路や公園整備をし、商店街などの地域産業をより発展させること、足立区内の川の整備、主要な路線の停車駅周辺の都市化など様々なアクションでより住みやすい街に変化しているようです。

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