幸田露伴の五重塔に出てくるお寺~日暮里の天王寺の魅力

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日暮里にある天王寺は、天台宗の「護国山尊重院 天王寺」として知られています。
日暮里の谷中墓地内にあり、墓地の参道を歩くと本堂がお迎えしてくれます。
優美な寺といわれている日暮里の天王寺についてお伝えします。

幸田露伴の五重塔にでてくるお寺
文豪の幸田露伴の代表小説、「五重塔」の舞台となったお寺が日暮里の天王寺です。
天王寺は当時五重塔だったのだそうです。
ある日、放火でそのほとんどが焼かれてしまいます。
十兵衛という大工は、天王寺の再建大工として名乗り出ます。
しかし、その親方分の源太という名棟梁も五重塔をつくるのは自分がとりおこなうのが当然だと言い張ります。
源太は共同作業を提案しますが、十兵衛は自分一人でとり行うことを主張し続けます。
怒った源太はしぶしぶ十兵衛に改修工事をまかせます。途中で源太の弟子に襲われた十兵衛。
片耳を失いながらも懸命に五重塔の再建に魂をこめて改修工事を行います。
完成した五重塔は、江戸を襲った暴風にも負けずにそのたたずまいを残したというストーリーです。
その後、五重塔は東京都に移管されます。昭和36年に本堂として毘沙門堂がつくられます。

もともとは日蓮宗の寺だった
天王寺は鎌倉時代後期に、日蓮上人に帰依された日蓮宗のお寺でした。
しかし、元禄11年頃には、日蓮宗の信仰として他の宗派からはお布施を受けないし、日蓮宗以外の宗教の僧にお布施もしないとしたことから江戸幕府から改宗を命令されたのでした。
しかし、従わなかったため、取壊しとなるところでしたが、天台宗の輪王寺の住職によって廃寺となるのを逃れました。
それからは天台宗の寺として繁栄していくことになります。
また、幕府から富くじ(今の宝くじ)が認められ、湯島天神や目黒不動とともに「江戸の三富」とされていたようです。

谷中七福神めぐりでも主要な寺として大活躍
日暮里の天王寺は、毎年元旦から10日頃まで開催される谷中七福神めぐりの1つのお寺にもなっています。本堂の毘沙門堂の阿弥陀如来像が、四天王の中で最強といわれている多聞天の毘沙門天です。木の中でもヒノキチオールが豊富で、木が傷みにくいといわれているヒノキが使われているそうです。中をくりぬくタイプの彫刻ではないため、ずっしりと重く貫禄もあるようです。
天王寺の七福神めぐりでは幸運を得ようと、毎年多くの参拝客でにぎわいます。
昔から富くじの名所として知られていたことから、宝くじはじめ幸運をゲットしたい方は訪れるといい運気に巡り合えるかも知れません。
参考URL
http://www.city.taito.lg.jp/index/kurashi/gakushu/bunkazai/yuukeibunkazai/tyoukoku/mokuzou/bisyamonten.html

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